What's JLA map

ようこそJLA mapへ。
JLA mapは、JLAUおよびJLAU会員が運営するランドスケープ・アーキテクチュアのガイドマップです。
JLA mapには、JLAU会員が携わった現代ランドスケープ作品を中心に、日本庭園等の歴史・文化的作品、それら作品の発想の源泉となる国内の海・山・川等の自然景観を地図上にマッピングしています。
マップ上の作品等は、継続的にJLAU会員が投稿するシステムとなっていますので、JLA mapには完成がありません。
本マップをきっかけに、みなさんが実際にその場所に足を運んでもらえれば幸いです。

Reports

2018.02.04JLAU庭園文化セミナーvol.12

■実施概要

○  タイトル:JLAU庭園文化セミナーvol.12 

      名古屋庭園の美学 —知られざる名園を訪ねる—

○  開催日時:2017年12月2日(土) 10:00~17:00

〇見学場所:古川為三郎記念館、楊輝荘、名古屋城二之丸庭園、四間道

〇講  師:野村勘治氏(野村庭園研究所)

○  参加者 :47名:中部25名 関西4名 関東18名

JLAU会員19名 一般22名 学生6名

本セミナーでは、野村庭園研究所の野村勘治氏をお招きし、名古屋庭園の歴史やその背景、庭園のデザインなど、知られざる名古屋の庭園文化について、名古屋の中心地に存在する複数の庭園を見学しながらご解説いただきました。

当日は終日晴天に恵まれ、絶好の庭園巡り日和となりました。参加者は、中部に所属している方々を中心として、関西、関東からの参加者も加えて総勢47名が参加しており、本企画への関心の高さが窺われました。セミナーでは、古川美術館会議室での野村勘治講師の講座から始まり、昭和初期に創建された古川為三郎記念館庭園、ほぼ同時期に造られた楊貴荘庭園を見学、午後は名古屋城二之丸庭園、最後に懇親会会場に至る道すがら四間道を見学するルートを見学しました。

Ⅰ.講座(講師:野村勘治氏 会場:古川美術館)

名古屋の庭園の始まりと言われる徳川家の名古屋城二之丸庭園の成り立ち、今では多くが失われた豪商と町屋の庭、料亭の庭など民間の庭園を解説いただき、本セミナーの見学場所の見どころを交えながら幅広くお話しいただきました。

Ⅱ.古川為三郎記念館

本記念館は、名古屋を代表する実業家で、寄付などを通じて社会に多大な貢献をした古川為三郎(18901993)の住まいであり、数寄屋建築および建築を取り囲む日本庭園を公開したものです。

敷地は斜面に立地しており、地形を活かしながら建築と庭園が融合する見事な庭園でした。庭園は、5本のシイノキの大木の下、地形に沿って流れるせせらぎを軸に見事に構築された空間となっており、どこを向いても見せ場がつくられているような庭園でした。住まいであった建築「為春亭」の大桐の間からは庭園全体を見渡すことができ、その庭園の美しさを切り取った静謐な空間がとても印象的でした。桂離宮を模しているという建築でしたが、庭園を見え隠れさせる障子の桟や欄間など、至るところに細かな意匠が施され、庭園とともに作り手の拘りが感じられる意匠となっていました。常に庭と建築が呼応しあう素晴らしい空間に感じられました。

Ⅲ.楊輝荘

楊輝荘は、松坂屋の初代社長である伊藤次郎座衛門祐民によって大正から昭和初期にかけて構築された別邸です。完成時は約一万坪の敷地の中に社交場として客を招くための多くの建造物があったとのことですが、ほとんどの庭園や建造物が失われた中にわずかに残るいくつかの建築を見学しました。

見どころは、デパート王とまで言われた実業家による贅を極めた建築で、祐民の興味や趣味を惜しげもなく散りばめたものとなっており、部屋ごとに異なる細かな意匠は見ごたえのあるものでした。しかし、庭園としての鑑賞性は乏しく、期待していた修学院離宮の千歳橋を模したという白雲橋や茶室の三賞亭が修復により見学できなかったことは残念でした。

Ⅳ.名古屋城二之丸庭園

名古屋二之丸庭園は尾張で最も古いと言われ、名古屋の庭園文化の先駆けとなったとのことです。庭園は名古屋城天守閣の東側に位置するエリアで、大きく前庭、北御庭、東庭園に分かれています。17世紀初頭徳川家初代義直の時に築庭され、当初は中国趣味の強い庭園でしたが、19世紀前半に大きく改変、茶室や数寄屋などの建物が建てられ、和風の庭園につくり替えられました。明治から昭和にかけては陸軍が入り、築山の削平、園池の埋め立てが行われるなど庭園としての姿が失われてしまいました。戦時には空襲により建造物が焼失されるなど、非常に複雑な変遷をみることになったということです。そして昨今、石組みの崩壊、樹木の生長により景観が損なわれていることから平成25年度より保存整備、修復に着手しています。

庭園は現在、いわゆる緻密に管理された審美性を感じさせるような庭園ではありませんが、所々荒廃した姿を見せながらも、現存する石組みは非常に雄大なものでした。特に北御庭の園池は圧巻で、深い渓谷の形態をとどめ、渓谷の上から俯瞰する様態はダイナミックさを感じさせるものでした。池は昨今発掘がなされるまで埋没しており、過去に見学した経験のある参加者からも驚きの声が上がっていました。

二之丸庭園は、知恵と遊び心を知る名古屋庭園鑑賞においては源泉となる庭園であるということです。この庭園には、謡曲「石橋」の物語性が秘められているとのこと。長い歴史を持つこの庭園を直ぐに読み解くことは到底困難ですが、野村講師の解説とともに庭園の中に刻まれている歴史と庭園の変遷、そしてその中に存在している物語性を読み解き、参加者それぞれが思い思いにかつての庭園の姿を想起したのではないでしょうか。

Ⅴ.四間道

四間道は名古屋の城下を流れる堀川の西側にあり、江戸時代の初め、名古屋城築城とともにつくられた商人町です。石垣の上に建つ土蔵群と軒を連ねる町家が通りに面して建ち並び、往時の城下町を想起させる街並みとなっています。

目線には、延焼を防ぐ目的として築造された石垣が連続し、時折、様々な表情をもつ巨石が嵌め込まれた住宅がありました。夕刻、既に日が落ちた中でしたが、灯りに照らされた立体的な表情がとても印象的でした。ちょっと変わった意匠ですが、言われなければ見逃してしまうような、このような場所にも遊び心が散りばめられおり、「名古屋らしさ」を示す場所として貴重な体験をすることができました。

.まとめ

庭園文化セミナーは、これまで関西でのセミナーを中心として開催し、関東では一昨年開催されましたが、中部では開催されていませんでした。京都では寺社や公家の別荘を中心とした多数の庭園、関東では江戸の大名庭園が知られていますが、両都市の中間の都市である名古屋における庭園文化は意外と知られていません。知られざる名古屋の庭園文化を紐解き、参加者それぞれに知見を深められたことは大変意義深いものです。

また、野村講師の豊富な知識に基づいた解説により庭園の見えない部分が掘り起こされたことはもとより、テーマとコンセプトを知ることによって、庭園を理解する上での奥行きが深まるということが繰り返し説かれ、庭園の見方が変わった参加者も多かったのではと思われます。

今回、JLAUのセミナーとして、中部でのセミナーが名古屋を拠点に活動しているメンバーにより開催されたことは、JLAUの活動を全国へ展開していくことを目指す上で、新たな展開を見たことは望ましい結果となったといえるのではないでしょうか。今後も、中部、関西、関東が連携し、さらには九州や東北など全国の庭園文化を掘り起こすセミナーに発展していくことを期待したいと思います。

(文責:剱田和良)